飼い
文字の羅列を走り読み、くだらないと鼻で笑う。

「あのコソ泥が殺人?ハッ、笑わせるぜまったく」

ぞんざいに片手で持ったその新聞一つで世間の騒動を一蹴した探偵に、彼の言葉を待っていた少女たちは嬉しそうに笑んだ。

「っ、そうよね!キッド様が人を殺すなんて・・!」

「園子、良かったね!」

殺人者ではなくても泥棒であり、しかも世界的指名手配の犯罪者。探偵として普段は出てくる軽口や皮肉も、目の前で安心し喜ぶ彼女らや自身の複雑な心境により喉奥へと引っ込んだ。探偵としては確かに“敵”だけど、『怪盗KID』の目を奪われるマジックショーは決して嫌いじゃない。奴の作る精巧な暗号文も謎大好きな新一には大変に魅力的だ。つい最近までやっていた小学生の時には何度も助けられたりもした。つまりは簡単に言うと・・・『工藤新一』は『怪盗KID』が、好き、だ。

「おい、個人的な意見だからな。本当にキッドがやってないと決まったわけじゃない」

“探偵”としての『工藤新一』が言わせた私情関係なく、それでも複雑な気分の詰まった一言は少女たちの笑みに相殺される。

「新一が『やってない』って言うなら、それが間違いなく“真実”だよ」

「そうそう。キッド様は無実ッ!」

自分への“信頼”がストレートに伝えられて、寝不足で青白い頬が僅かに染まった。





覚束ない足取りでようやく帰宅。今の自分なら目の前で事件が起きても綺麗にスルー出来るだろうなと、らしくない事を考えるほどの眠気に襲われる。眠い眠い眠い。死ぬほど眠い。今すぐにベッドへ飛び込みたい。制服の皺とか家の戸締りとかどうでもいい・・・寝たい。久しぶりに出た授業で居眠りするわけにはいかず、授業毎の10分休みと昼休みに少しづつ睡眠をとっただけで、事件に身を費やしていた日々のツケがどっと回ってきた。

「今なら・・・簡単に
殺される・・

ふらふらと今朝30分だけ寝たリビングのソファを横切って、壁に手をつたいながら辛い階段を上る。瞼が尋常じゃないくらい重い。人間ってやっぱり、不眠不休だとダメだ。死ぬ。脳の回転がありえないくらいの鈍行運転なのが良く分かる。時間にしたら5分ほどでようやく自室に辿り着いた。自分の部屋なのに入ることさえ久しぶり・・むしろ二階に上がる行為自体が今日までなかった気がする。そんな自室へ続く扉を開けたとき、緩やかな風が頬に当った。眠さに下がっていた視線を自然と上に向かせれば、床に白と赤の塊が落ちている。整えておいた筈のベッドには軽く皺が寄り、やはり赤い斑点が点々と白いシーツを汚していた。ベッドの向こうでは青いカーテンが緩く揺れる。閉めてあった筈の窓が開いていた。そこまでを視覚でなんとか認識し、順を追ってもう一度上から下へ、窓から床へ視線を向ける。

・・・・・あれ?

床に落ちている白と赤の塊を数十秒ほど見つめ、普段は優秀な彼の脳が導き出したのは制服の胸ポケットに収まっている携帯電話を取り出すことだった。押し慣れた短縮ボタンを押して『プルルルル・・』とお決まりの機械音を聞く。その間もボーっと半分眠った目で床の塊を見つめ続ける。

『―っ、もしもし、工藤くん?』

「ぁあ、宮野・・・」

『その声・・また寝てないわね。いい加減にしないと』

電話の相手である隣家の彼女はたったの一声だけで新一の状態を察知した。そして長々と続きそうな彼女の話を遮るように、新一は床の塊を見ながら首を傾げる。

「なぁ宮野、俺の部屋で死人が出るかも。てかもう死んでるかなコイツ」

『え・・?』

「血の量凄そうだし・・・これ死んだらどうするかなぁ」

『ちょっ、工藤くん?!』

声だけなら穏やかでも、言っている内容のオカシさに少女は慌てた声を出す。

『今直ぐ行くから待ってなさいッ!』

その言葉を最後に電話は通話終了の音を流す。唐突に切られた電話をやはりボーっと見つめる間に、隣家からは騒々しい声と足音が。扉の閉開音、階段を駆け上がる足音。

「工藤くん!」

「どうしたんじゃ新一!」

その時隣家の二人が見たのは、普段の新一からは想像出来ないほどポヤポヤと無防備な顔をした彼と、彼の目の前で床に倒れた・・・血濡れの怪盗だった。うつ伏せに倒れこみトレードマークのシルクハットは部屋の隅に転がっている。真っ白いスーツは所々を赤黒い血に染めて、その体はピクリとも動かない。

「っ、博士!」

「あっ、ああ!」

事の重大さと異常さに冷や汗をかきながら駆け寄って、まだ血の乾ききらない怪盗の手首と首に手を添える。脈は、脈は・・・ある。まだ生きている!

「工藤くん手伝って!早くっ」

「ん、ぁー・・」

どうしてこんな状況でそんなにぼけっとした顔をしていられるのか、少女は内心で苛々する感情も怒りも通り越して呆れた。どれだけ眠ってないのよ・・と。血に濡れた新一の自室からどうにか隣家の地下室にまで重傷の怪盗を運び出し、少女と博士はそのまま怪盗の手術に取り掛かった。どう見ても出血が酷過ぎる。脈も弱く、一分一秒だって無駄に出来ないような状態だ。二人が鬼気迫る思いで汗をかいている時間、世間を騒がしている殺人容疑のかかった泥棒に不法侵入され自室を血塗れにされた探偵は、隣家のソファでそのまま倒れ込むように眠った。既に限界を突破していた脳は、泥棒のことも自室のこともとにかく放棄して休息を選び、“探偵”という肩書きすらも意識の彼方へと追いやっていた。