飼い
ふわりと、温かい。額に熱を感じる。思わず安心するような、母親を思い出す温かさ。自然とその熱に額をすり寄せて、彼は柔らかい笑みを浮かべて眠った。

「・・・ガキ」

温かさの主である探偵は可笑しそうに、だけど嬉しそうに微笑を浮かべて熱源である己の右手をそのまま、貧血で眠りっぱなしの怪盗の額に置いた状態にした。彼があまりにも無防備に、安心したように眠るので、そのままもう少し休んでいて貰いたかったのだ。

今、現実は、彼にとって残酷過ぎるから。

KIDの傷は銃によるものだった。右肩に一発と左足に一発、右の脇腹も掠っていたが奇跡的に弾は全て貫通していたようだ。本格的に倒れこむ前に自分で応急処置したらしく、出血を最小限抑えていたおかげか五時間もの大手術の結果なんとか一命を取り留めた。それでも新一の発見する前の晩、つまりは新一が下の階のリビングで集中して発売したばかりの推理小説を読んでいた時には、既に不法侵入して倒れていたらしい。約一日放置していれば、応急処置もさほど意味をなさない。新一の自室を赤く血で染めるほど大量に出血していた怪盗は、手術後も目覚めることなく点滴に繋がれて眠り続けていた。
怪盗がそうして手術に点滴にと眠っている間、第一発見者であり探偵でもある新一は極度の睡魔には打ち勝てずに隣家のソファでダウン(爆睡)し、手術が終わったばかりの志保に叩き起こされた。五時間も眠ればさすがに頭が冴えたらしい。状況を素早く読み取り「わ、悪ぃ・・」と気まずそうに珈琲を志保や博士に進んで淹れた。そうして二人が一息吐いてようやく、新一はKIDの容態を知ったのだ。

「もう三日目になるわね」

背後から突然かかった声に驚いて、新一は怪盗の額に置いていた手を反射的に離してしまった。あ、しまった・・とも思ったが、第三者がいるのにあのままではどうせいられなかっただろうと、自分自身を納得させる。白衣をスラリと着こなした志保は新一のそんな様子にクスリと笑って、言葉を続けた。

「二日間眠り続けて三日目に突入。怪盗さん、眠ることで自己治癒に専念してるのね」

KIDのカルテを片手に点滴の様子を見るその目はひどく穏やかで、眠り続けているこいつがもう大丈夫なんだと良く分かる。

「それで・・・事件、どうするの?」

静かな室内で、やはり問われた。『怪盗KID』の関わる事件をどうするのか・・・答えはとうに決まっている。

「解決、する」

探偵として解決したいという思いはもちろん、怪盗を拾い治療した責任も果たしたい。それにKIDのことで園子や誰かが悲しい顔をしているのが、無性に嫌だった。

「・・・面倒ね」

一つ溜息を吐いて、事件の関与に反対することなく吐き出された言葉。

「・・・あぁ」

面倒だと、ポツリ、怪盗の穏やかな顔を見ながら吐いた。

『怪盗KID、今度は幼女の母を殺害』

今日の朝刊にデカデカと載ったその記事には、KIDの第二の殺人について記されていた。
犯人だと騒がれている本人が大怪我で眠っている間に起きた、連続殺人事件。KIDが新一の自室で発見される前夜、彼はある宝石コネクションで仕事をしていた。その証拠にテレビはKIDのショーを映していたし、今も返されることなく倒れたビッグジュエルが新一の手元にある。大人の拳大もあるサファイアは、『女神の瞳』という名の通りに美しく、KIDの血に濡れても尚キラキラと輝いていた。宝石を持っているという事は、彼はいつも通りに仕事を成功させたのだ。問題はその後、宝石を盗んで逃走している間だった。新聞やテレビでは、“KIDが標的の宝石コネクションの一人娘である幼女を誘拐し、殺害した”と言っている。殺害された幼女のそばには、クローバーマークのぶら下がったKIDのモノクルが落ちていた。これは犯人を示す重要な物的証拠となる。確かに自室で倒れていたKIDはトレードマークである白いシルクハットは持っていたものの、その顔にモノクルはなかった。そして起こった第二の殺人。
KIDの手術後にテレビを見れば、ニュースはKIDの予告状を映し出していた。見る人が見れば偽物だと直ぐに分かるようなそれに、テレビは『怪盗KIDがまたも予告状を!』と騒いでいる。

「・・・偽物ね」

本人が直ぐそこの部屋で眠っているのだから、志保は冷めた目で呆れたように声を出した。

「ガキでも作れるぜあんな駄作」

土台は本物のKIDの予告状を使用したのだろうが、しょせんは素人仕事。いつもは新一の胸を躍らせる暗号文は、怒りさえ湧くほどにお粗末過ぎた。あんな偽物に踊らされ騒ぎ立てるマスコミもムカつくが、こんな駄作をKIDの名で堂々と世に出した偽者もムカつく。東の名探偵が解読するまでもない予告状は娘を殺された宝石コネクションにもう一度向けられたモノで、今度はルビーのビッグジュエル『魔女の瞳』を狙うと記されていた。

≪今宵 月が天に昇る時。魔の赤い血に染まった愚かな女の、その瞳を頂く≫

現場は厳戒態勢を布かれ、百を越す警察官がずらりと周囲を包囲していた。マスコミのカメラは外から宝石コネクションの自宅を映し、視聴者はそれを固唾を呑んで見守る。日本中がピリピリとした緊張に包まれた夜。時計の針が≪月が天に昇る≫時刻である十二時を示した時、女の悲鳴が響き渡った。

『怪盗KID、今度は幼女の母を殺害』

二階にある殺された娘の部屋で、≪女≫は絶命していた。体内から流れ出す≪赤い血に染ま≫り、≪その瞳≫を刃物で貫かれて。あの偽の予告状は初めからこの≪女≫を・・殺された幼女の母親を狙っているのだと、殺人予告をしていたのだ。警察官が警護する中での連続殺人に現場は騒然としながらも、百もの警察官が護っていた『魔女の瞳』には、何のコンタクトもなかった。
こうしてたった数日の内に起こった『怪盗KID』による残忍な犯行に日本中が震え上がり、大多数を占めていた“否定派”でさえ彼を批判するようになったのだ。今や日本中が、世界中が・・・何も知らず穏やかに眠る『怪盗KID』の、敵だった。