募る想いのその先は




先週まで、別の意味で通い慣れていた遊郭の暖簾を潜る。顔を見せた主人が途端にやらしく笑った。



「おかえり、“白菊”」



その声には仏頂面を返してやった。

通された奥の間に腰を落ち着ければ、出てくる出てくる馳走に名酒。運んでくる遊女もまた見知った女たちばかりで、これはいっそ嫌がらせかと思う。そんなにも嬉しそうにニヤニヤ笑わないで欲しい。こんなところへ帰ってきたわけではない。貰う物だけ貰ったら用済みの場所。もう来ない。

「さあさ、僅かばかりだが礼として受け取っておくれ」

客の対応をしていた主人も対面に腰を下ろして、両側には上等に着飾った遊女。徳利に酒を注がれるのを制して、さて本題へ。

「もてなしは嬉しいが、礼金は」

ない、なんて言わせない。そう意思を込めて睨んでやれば、既に酒へ手をつけていた主人も苦く笑う。

「全く、お前はガメツイ」

主人の懐から出た小豆色の巾着袋を放られた。重みのあるそれを両手で受け止める。中身をしっかりと確認して、ようやく顔に笑みをのせた。これで酒も馳走も遠慮なく頂ける。

「では、イタダキマス」

「はっはっは!そうでなくては!」

この小さな宴会を、どうやら主人も楽しんでいるようだった。

一刻、二刻楽しんで酒に酔った頃。枷を外した主人がまたあのニヤニヤ笑いを見せた。側の遊女に耳打ちをして、どこかへやる。直ぐに戻ってきた遊女の手には大きな箱。嫌な予感がした。

「白菊!記念にこれをやろう!」

蓋を開けた箱の中身はやはり、“白菊”として働いていた頃の真っ白な着物と煌びやかな装飾品。何を考えているのか上等な化粧の類まで。思わず溜息を落とした。

「主人、白菊はもう死んだ」

「ああ、分かってる!分かってるぞ!」

酔っ払いには何を言っても無駄らしい。諦めてまた一つ溜息を。酒の酔いも白菊の白さが強烈で醒めてしまった。かといってまだ飲む気にもなれない。もう粗方食べ終えた膳の上を行儀悪く箸で突いていると、廊下に続く襖が開かれる。飯の追加か、と思えばそうではないらしい。襖を開いた遊女は泥酔した主人を見て困ったように笑い、

「白菊姐さん、お子さんが迎えにいらっしゃいました」

これはいい退室のきっかけが出来た。

「主人!」

聞こえぬだろうが一応と声をかけるが、やはり酒に潰れた主人からは何の返事も返ってこない。まあいい。ここ以外でまた会うだろう。せっかくだから残った酒と、例の箱を手に持って部屋を出た。遊女の案内で進んだ廊下の先には、本当に子供たちが待っていて思わず顔が緩む。

「あ!やっときた!」

「遅い!」

怒ったように文句を言うがやはり子供。真っ先に腰元へ抱きついてくる可愛さが嬉しい。

「ごめんごめん。さ、帰ろう」

子供を促して裏戸を潜る。キラキラ光っているであろう表とは違って落ち着いた静かな路地だ。人通りも少ない。今日はこのまま家へと帰って・・ああ、子供たちに夕飯をあげないと。自分はもう食べてしまったし、どうしようか。頭を悩ませて数歩歩いたところで、後ろから声。

「姐さん、これ」

裏口までを案内してくれた遊女だった。彼女の手には大きな風呂敷包み。彼女は子供の一人にそれを渡した。白菊関連でまだ何かあったか?首を傾げれば遊女は悪戯な笑みを浮かべた。

「夕飯に、どうぞ」

「おいしそうな匂いがする!」

遊女の声に被るように包みを受け取った子供が嬉しそうに声を張り上げた。確かに、調理したてのおいしい香りが漂ってくる。これはいい物を貰った。子供と揃って礼を言い、歩き出した背に遊女は最後の声をかけた。



「また来てね、銀さん!」



いやいや、もう、勘弁してください。